霊性修行

霊性修行とは一体何でしょうか?

 それは、「とうもろこしを覆っている皮を取り除いて、その実を取り出すこと」だといえます。つまり霊性修行とは、私たちの本質であるアートマ(純粋意識)を覆っている自我という皮を取り除き本当の自分である真我を顕現させるために行う修行です。

 霊性修行という言葉の響きには、何か宗教的なイメージや出家した修行者が山の中で行う滝行のようなイメージがありますが、ここで取り扱う霊性修行とは、決してそのような日常を離れて行うものではなく、誰もが普段の暮らしの中で取り組めるものです。

 私たちは社会の中で生きているからこそ、様々な問題に出くわし、苦しみや葛藤や悩みなどを経験します。それらのことを棚上げにして人は学び成長することはできません。その意味では霊性修行とは私たちの人生を通して行うものであり、人生は霊性修行だということができます。

 また霊性修行の過程で、自分の自我意識が生み出している心の中の六つの敵、すなわち、欲望、怒り、貪欲、迷妄、高慢、嫉妬などが自分の中に潜んでいることに気づかされます。嫌なものを見せられることは誰でも耐え難いものですが、自我意識を克服するためには避けて通れない過程です。米が研がれて丸くなるように、その痛みを経て人は確実に成長することができます。

 霊性修行のゴールは神(真我)との合一です。イエスは初め神のメッセンジャーでした。それから神の子という自覚が生まれ、最終的には自分と神は一つであると認識するに至りました。同様に私たちの霊性修行のゴールも自分と神とは一つであると悟ることです。その高見に達したものはこの世のあらゆる苦しみから開放されているでしょう。この世の喜びや苦しみは一時的なものです。真我の喜びは永遠のものです。